「うちの兄弟は仲がいいから大丈夫」 そう信じている方にこそ、ぜひ知っていただきたいことがあります。
実は、相続トラブルの多くは「仲が悪い家族」ではなく、「仲がいいと“思われていた家族”」で起きているのです。
表面上は仲良く見えていても、そこには言葉にされない不満や、長年の感情の蓄積が隠れている場合があります。親の死をきっかけに、それが一気に噴き出してしまう──そうした例は、決して少なくありません。
感情は、時間とともに積もる
家族という関係は、血のつながりがあるからこそ、遠慮が生まれやすいものです。
・親の介護を押しつけられたけれど、何も言えなかった
・兄弟の誰かだけが援助を受けていたけれど、ずっと我慢していた
・親に可愛がられていた兄弟への嫉妬を、表には出せなかった
こうした「言わないままの感情」は、決して消えているわけではありません。 それらは心の奥に静かに沈み、時が経つほどに重くなっていきます。
そして、親の死という“大きな区切り”の場面で爆発してしまうのです。
「今は仲がいい」は、将来の保証ではない
親が生きている間は、兄弟間のバランスが保たれていることも多いです。 でも、親という存在がいなくなったとき、子どもたちは“それぞれの立場”で物事を見るようになります。
・誰が親に一番尽くしたか
・誰が多くもらったか
・誰が損をしているのか
こうした視点の違いが、かつての「仲の良さ」を一気に崩してしまう原因になります。
親が今できる「気持ちの備え」
では、どうすればいいのでしょうか?
それは、“今のうちに、親自身の想いを伝えておく”ことです。
誰を信頼していたのか。 誰に感謝していたのか。 なぜ遺産をそのように分けたのか。
その理由や気持ちを、法的な遺言書とは別のかたちで残しておくこと。 それが、兄弟間の感情のズレを最小限に抑えるための手段になります。
代理参拝という、新しい終活の選択肢
私は、「想いを神社に託す」という形での“気持ちの終活”をお勧めしています。
神社という静かな場所に、 「これからも兄弟仲良くしてほしい」という祈りを込めて参拝する。 その想いを代わりに届けることで、残された家族に静かなメッセージを残すことができるのです。
それは、口では言いづらかった“本音”を伝える手段でもあり、 子どもたちの心に残る“見えない遺産”にもなります。
「親の祈り」が、家族の絆を守る
家族の関係は、日常の中では当たり前すぎて意識されません。 でも、親が亡くなったあとに起きる出来事は、その関係の真価を問われる瞬間です。
だからこそ、親ができる最後の役割として、 「兄弟の心が離れないように祈る」という行動には大きな意味があります。
それはきっと、家族をつなぐ静かな力になるはずです。
仲がいい今だからこそ、備えておきたい。 私はそう強く願っています。
Office You 高田 有希子