「終活」と聞くと、まず頭に浮かぶのが遺言書やエンディングノートではないでしょうか。自分の大切な財産をどう分けるか、家族への感謝の言葉や伝えたい情報、葬儀やお墓の希望など、様々なことを書き記すことで、残された家族の負担を減らし、心穏やかに旅立ちたいと願うのは当然です。
特にエンディングノートは、形式にとらわれず自由に書けるため、多くの方が手に取ります。「自分の想いをすべて書き出せる」そう思って、私も書き始めました。ですが、書いていくうちに、ある「たった一つの大切なこと」が、どうにも書ききれない、という現実に直面したんです。
エンディングノートでは埋まらない「感情の空白」
エンディングノートは、確かに便利です。自分の生年月日や病歴、大切な連絡先、財産リスト、そして「ありがとう」といった感謝の言葉も自由に綴れます。しかし、紙の上の文字だけでは伝えきれない、深い**「感情の空白」**があることに気づきました。
例えば、
- 「あの時、君にひどいことを言ってしまった。本当にごめんね」という、過去の具体的な出来事に対する心からの謝罪。
- 「長男(長女)には、本当に家を継いでくれて感謝している。でも、無理せず、自分の人生も大切にしてほしい」という、感謝と同時に秘めた願い。
- 「きょうだい喧嘩ばかりしていた君たちが、私がいなくなってもずっと仲良くいてほしい」という、切なる願いと、そこにある親としての複雑な感情。
これらは、単に「ごめんね」や「ありがとう」と書くだけでは伝わりません。その言葉の背景にある親の深い愛情、葛藤、そして未来への切なる思いは、紙の上の文字だけでは表現しきれないのです。読む子どもたちにとっても、文字だけでは親の真意を計りかね、かえって心のわだかまりを残してしまう可能性すらあります。
親の「言えなかった本音」が、家族の争いを招くことも
この**「感情の空白」は、時に大きな問題を引き起こします。遺言書が財産という「形あるもの」を整理する一方で、この「形ない感情」が伝えられないままだと、残されたきょうだいが「親は本当は何を望んでいたのだろう?」と迷い、それぞれの解釈がぶつかり合って争続**に発展するケースも少なくありません。
親が抱える「言えなかった本音」は、単なる未練に留まらず、大切な家族の絆を壊してしまう可能性さえあるのです。エンディングノートは、あくまでも「事実」や「希望」を整理するものであって、「心」の深い部分、特に繊細な感情の機微を伝えるには、限界があるのです。
「終わりの代理参拝」が埋める、エンディングノートの「空白」
そこで、注目してほしいのが「終わりの代理参拝」です。これは、エンディングノートや遺言書では伝えきれない、あなたの「心の遺言」を届けるための、新しい選択肢です。
「終わりの代理参拝」は、あなたの素直な“本音”や深い愛情を、「祈り」という神聖な形でご家族へ届けます。
- 言葉の壁を越える「祈り」: 直接言いにくい感情も、神聖な場での祈りとして捧げることで、言葉以上の重みと真心を伴って伝わります。それは、エンディングノートの文字だけでは表現できない、心の奥底からのメッセージとなるでしょう。
- 家族に「親心」が深く響く: ご家族は、あなたが自分たちのために、このような形で深い思いを遺してくれたことを知ることで、改めてあなたの愛情を感じ、絆を深めるきっかけとなるはずです。
- 「言えなかった後悔」からの解放: あなた自身も、「伝えきれなかった」という心の重荷を下ろし、心穏やかに残りの人生を過ごすことができます。それは、何よりも代えがたい心の安堵につながります。
エンディングノートがあなたの情報を整理する「記録」であるとすれば、「終わりの代理参拝」は、あなたの**「心」を未来へつなぐ「儀式」**と言えるでしょう。
あなたの「心の遺言」を、今、確かな形に
エンディングノートを書き終えたあなたも、これから書こうとしているあなたも、ぜひ一度立ち止まって考えてみてください。そこに書ききれなかった「たった一つの大切なこと」、つまりあなたの**「心の遺言」**を、どうやって未来の家族へ届けますか?「終わりの代理参拝」は、あなたの「言えなかった」を「伝わった」に変えるお手伝いをします。それが、あなたから家族への、最後の、そして最高の贈り物となるでしょう。
Office You 高田 有希子