「あの時、もっと話しておけばよかった…」
あなたがそう後悔することのないように、この体験談をお読みください。
家族は、人生で最も大切なものです。しかし、その大切な家族が、親の死後、バラバラになってしまうことも少なくありません。私自身、父の死後、まさにそのような経験をしました。
父の突然の死、そして「沈黙」が招いたきょうだいの亀裂
父は、ある日突然、この世を去りました。元気な頃から「遺言書は書いているから大丈夫だ」と常々言っていたので、私たちはそれほど心配していませんでした。しかし、実際に父がいなくなってから、私たちきょうだいの関係は少しずつ、しかし確実に壊れていきました。
父の遺言書には、財産の分け方は書かれていましたが、それ以外のことは一切触れられていませんでした。例えば、父が大切にしていた家業を誰が継ぐべきか、母の面倒を誰が主に見ていくか、そして何よりも、私たちきょうだいそれぞれに対する父の感謝や期待、後悔の念などは、何一つ書かれていなかったのです。
私たちは、それぞれが父の「本心」を推測し、それが意見の食い違いを生みました。「父さんは長男に期待していたはずだ」「いや、父さんはもっと自由に生きてほしかったはずだ」。父の沈黙が、私たちの中に不信感を募らせ、やがて口論へと発展するようになりました。互いを思いやっていたはずのきょうだいが、まるで敵のように見えてきたのです。
「本当の親心」を伝えられないことの悲劇
なぜ、こんなことになってしまったのか。それは、父が私たちに「本当の親心」を伝えきれていなかったからだと、今になって思います。遺言書は、あくまで法的な側面を整理するものであって、人の感情や思いを伝えるには限界があります。父はきっと、私たちきょうだいが争うことなど望んでいなかったでしょう。しかし、その「望まない」という気持ちや、私たちへの深い愛情は、父の生前に言葉として伝えられることも、遺言書に記されることもありませんでした。
親が亡くなった後、残された子どもたちは、親の「遺産」だけでなく「心」も受け継ぎたいと願うものです。感謝の言葉、謝罪の気持ち、そして未来への願い。これらが共有されないと、子どもたちは親の真意を探ろうとそれぞれが勝手に解釈し、それが誤解を生み、やがて争いの原因となるのです。私のきょうだいも、まさにこの道を辿ってしまいました。
「終わりの代理参拝」が繋いだ、壊れかけた家族の絆
しかし、私たちはただ争い続けたわけではありませんでした。ある時、親族が集まった場で、誰かが「父さんの気持ちが分かれば、こんなことにはならないのに」と呟いたのをきっかけに、皆で「終わりの代理参拝」というサービスについて知る機会がありました。
最初は半信半疑でした。しかし、「亡くなった父の、私たちへの本当の気持ちを、神聖な場所で祈りとして届けてもらう」というコンセプトに、妙に心が惹かれました。私たちは、父の心の遺言を届けてもらうことにしたのです。
実際に代理参拝が行われ、その時の様子を聞き、後日、代理人の方から父の生前の思いがどういう形で昇華されたのかを伺いました。それは、父が生前に私たちに伝えきれなかったであろう、私たちそれぞれの名前を挙げながらの感謝の言葉や、温かい励まし、そして「これからもきょうだい仲良く、支え合って生きてほしい」という切なる願いでした。
父の口から直接聞くことは叶いませんでしたが、その「祈り」を通じて伝えられた言葉は、私たちきょうだいの心に深く響きました。それは、法的な書類では決して伝わらない、温かく、そして感情に満ちた「父の想い」そのものだったのです。
争続から「思いやりを遺す終活」へ──あなたの番です
「終わりの代理参拝」は、私たちきょうだいの間にできた深い溝を埋めるきっかけとなりました。父の「心の遺言」を受け取った私たちは、互いの感情を理解し、再び顔を合わせて話せるようになったのです。
あなたの親心も、きっとお子さんたちに伝えたい「本当の気持ち」があるはずです。遺言書だけでは伝えきれない、感謝や願い、そして「死後も仲良くしてほしい」という切なる思いを、あなたは残せていますか?
親の沈黙が、残された家族の争いを生むこともあります。争続ではなく、思いやりを遺す終活へ。死後、子どもたちが“仲良くいられる”ために、今すべきことがあります。あなたも「心の遺言」を届けることで、未来の家族の絆を守りませんか?
Office You 高田 有希子