「言いたいことが言えないまま、最期が来るかもしれない──」
そんな不安を感じたことはありませんか?
もし、あなたが愛する家族との穏やかな日々を願うなら、きっと一度は考えたことがあるのではないでしょうか。私自身も、まさか自分の家族にそんな日が来るとは思ってもいませんでした。
母が残した「言えなかったこと」が、争いの種に
私の母は、よく「全部わかってくれてると思ってた」と言っていました。私たちきょうだいも、母とは信頼し合っていると信じて疑いませんでした。でも実際には、母の死後、私たちきょうだいは揉めに揉めたんです。
きっかけは、母が残したわずかな遺産でした。遺言書はきちんとありましたし、法的な手続きも問題ありませんでした。それでも、なぜか感情的な溝が深まり、気づけば顔を合わせるのも億劫なほどになっていました。
遺言書では伝えきれない「心の声」
なぜこんなことが起きたのか。後になってわかったのは、遺言書には書かれていない「肝心なこと」が、たくさんあったからだと気づいたんです。
「誰に感謝しているか」「誰に何を願っているか」──。
金銭的なことや所有物の分配は遺言書で明確にできます。でも、母の心の中にある「誰かに伝えたい感謝の気持ち」や「残りの人生をどう生きてほしいか」といった、言葉にならない部分は、誰の中にも確かに存在し、それが置き去りにされていたんです。
私たちきょうだいはそれぞれ、「母は自分にこう思っていたはずだ」「いや、母はこう考えていたに違いない」と、勝手に想像し、その想像が食い違ったことで、お互いを責めるようになってしまったのです。
新しい終活の形「終わりの代理参拝」との出会い
そんな時、知人から教えてもらったのが「終わりの代理参拝」でした。最初は何となくスピリチュアルなものなのかな、と思ったんです。でも話を聞いていくうちに、これは単なる精神的な慰めではない、具体的な「心の終活」の手段なのだと理解しました。「終わりの代理参拝」は、手紙のように物質的な形で残すのではなく、あなたの気持ちを「祈り」というかたちで伝えるというものです。神社という静かで神聖な場所に、あなたの感謝や謝罪、そして子どもたちへの願いを届けてもらう。それは、あなたが直接伝えられなかったとしても、その想いが確かにそこに存在し、受け継がれることを願うための、新しい終活の形でした。
「子どもたちが仲良くいてくれたら」その一心で
私は考えました。もし、母が亡くなる前に、私たちきょうだいそれぞれに向けて、言葉にならなかった「ありがとう」や「ごめんね」、そして「ずっと仲良くいてほしい」という願いを、何らかの形で残してくれていたら、私たち兄妹はあんなに争わなかったのではないか、と。
子どもたちが、私の死後も笑い合っていてくれたら。互いを思いやり、助け合いながら人生を歩んでくれたら。そのためなら、できることを今しておきたい。母の死後、苦い経験をした私だからこそ、この想いは誰よりも強いものでした。
そんな想いで、私はこの「終わりの代理参拝」をお願いすることに決めたのです。これは、子どもたちに残す「最後の贈り物」なのかもしれない、と。
「心の遺言」で、未来の家族を守る
「遺言では残せない想いがある」──。
そのことに、あなたも気づいているのではないでしょうか。遺産のことだけでなく、あなたの「心」が、本当に伝えたい言葉があるはずです。
もしそうなら、今日という日を「未来の家族を守る日」にしてみませんか? あなたの「心の遺言」が、きっと家族の絆を深めるきっかけとなるはずです。
Office You 高田 有希子