親はずっとそばにいた。でも“中身”は知らなかった
親と一緒に暮らしていた時間。
日々の食事、学校の送り迎え、病気の看病──
そんな日常の記憶はあっても、
「親がどんな夢を持っていたのか」
「何を我慢して生きてきたのか」
「何を後悔していたのか」
──そういった“親の物語”を知らないまま、別れの日を迎えてしまう人は少なくありません。
生きていたのに、何も聞かなかった。
聞いても答えてくれなかった。
そして、もう聞けない──。
“話す文化”がなかった世代
いまの高齢世代は、「自分のことを語らない」のが美徳とされた時代に生きてきました。
「聞かれないことは話さない」
「家族には余計なことを言わない」
そうやって、“思い出”も“感情”も、胸の奥にしまったまま人生を終える人がほとんどです。
けれど、それでは「親の人生」は子どもの中に残りません。
「どんな恋をしたの?」
「一番うれしかったことは?」
「今の人生に、満足してる?」そんな問いを、一度も交わせなかったまま親を見送る子どもたちは、
後になって、空白の記憶と向き合うことになるのです。
“語らなかった親”を、どう受け止めるか
残された子が抱えるのは、
「親を知らなかったこと」への寂しさと、
「何も聞かなかった自分」への後悔です。
でも、その背景には「話さなかった親の事情」もある。
親だって、語るのが恥ずかしかったかもしれない。
どこから話せばいいかわからなかったかもしれない。
過去を思い出すのがつらかったのかもしれない。
だからこそ、ただの“沈黙”として終わるのではなく、
少しだけでも、想いの断片を残しておく方法が必要なのです。
親の物語を、ひとことでも残すということ
「実は、若い頃は画家を目指していた」
「初恋の人とは文通をしていた」
「戦争で兄を亡くしたことが、一生忘れられなかった」
たったひとつのエピソードで、
親が“ただの親”ではなく、“一人の人間”として浮かび上がることがあります。そんなふうに、子どもの記憶の中に、
親の“人生のかけら”を残すだけでも、
その人の存在は、ずっと生き続けるのです。
「話せなかった想い」を、託しておける場所
もし、あなたにも語れなかった人生の一部があるなら、
それを静かに残す手段があります。
「想いを届ける代理参拝」では、
あなたの人生の一場面、後悔、感謝、気づきなどを
言葉として聞き取り、神社でそっとお預かりします。
家族に向けた手紙でも、告白でも、
自分のための“区切り”でも構いません。
あなたの物語を、たった一行でも残しておきませんか?
それが、残された人の“心の拠り所”になるかもしれません。
Office You 高田有希子