「言わずに済ませたこと」を後悔したくなかった
72歳の佐藤美智子さん(仮名)は、二人の娘に囲まれながら静かに暮らしています。体のあちこちに不調を感じるようになり、「そろそろ自分の終活も考えなければ」と思い立ったのは、3回目の入院を終えた直後のことでした。
「片付けも、葬儀の希望も、一応書きました。でも……一番残っていたのは、“気持ち”でした」
そう語る佐藤さんが抱えていたのは、長女との長年のすれ違いでした。
「昔は厳しくしすぎた。正直に言えば、あの子の選んだ道をずっと応援できなかった。謝ろうと思ったことも何度もあったけど、今さら、なんて……」
そんなとき、ネットで「想いを届ける代理参拝」という言葉を見つけたといいます。
「祈り」ではなく、“心の奥にある言葉”をそっと届ける
「神社で想いを届ける? 最初は不思議に思いました。でも、誰かに見せるわけじゃない。家族にも言わなくていい。ただ、自分の想いを、ちゃんと受け止めてもらえる場所がある──その言葉が心に引っかかったんです」
佐藤さんは、思い切って申し込みました。
「言葉にしてみたら、どんどん出てきたんです。叱ったこと、見守れなかったこと、心からの『ごめんね』と『ありがとう』。話しながら、涙が止まりませんでした」
ヒアリングを受けたことで、自分の中に“けじめ”がついた
「今さら会話で伝えたら、きっとあの子は困惑する。でも、自分が旅立つときに、“お母さんはこう思っていたんだ”と気づいてくれたらいいなと思うんです」
佐藤さんは、ヒアリングを通してその想いを預け、神社での代理参拝として届けてもらいました。
「直接じゃなくても、自分の中で整理がついた。誰かに話して、聞いてもらえたことで、自分を許せた気がするんです。自分の人生に、自分なりのけじめがつけられたような……そんな感覚です」
誰にも言えなかった想いに、“届ける場所”があるということ
終活とは、物や手続きを整えるだけではありません。
ときに、人には「口に出せない想い」があります。
でも、そのままでは、自分自身の人生の幕引きに悔いが残る。
だからこそ、誰かに伝えるのではなく、「自分の心にけじめをつける場所」として、代理参拝があった。
そんな体験を経た佐藤さんは、今、静かに笑ってこう語ります。
「この歳になると、強がってた自分の弱さがよくわかる。でも、最後くらいは、素直な気持ちで人生を締めくくりたいと思ったんです」